ひとつの衝撃が走りました。
一代で醸造所を興し、その名をドイツ国内のみならず、
世界中に知らしめた醸造家 ベルンハルト・フーバー氏の訃報です。
彼のワイン造りに対する、情熱と真摯な姿勢から、
いつしか「ドイツ赤ワインの規範」と称されるようになりました。
フーバーさんのお悔やみの記事が掲載されました。
ベルンハルト・フーバー氏フーバー醸造所の最大の特徴は、ピノ・ノワール種を使った赤ワインの生産が、実にその70%強にも上ることです | マルターディンガー・ビーネンベルクの畑。シュヴァルツヴァルトの麓に、テラス状にぶどう畑が広がっています。 |
ベルンハルド・フーバー醸造所の歴史はほこりまみれの古い文献から始まりました。まだ研修生だったころ、故郷マルターディンゲン村で資料に目を通していたフーバー氏は、13世紀ごろのぼろぼろになった文書を目にします。文献によると、当時マルターディンゲン村は、フランスのシトー派の僧侶から持ち込まれたぶどう品種「ピノ・ノワール」を使った赤ワインの名産地であったばかりか、ピノ・ワール種が村名を取って「マルターディンガー」と呼ばれていたことがはっきりと記されていました。(今日でもワイン辞典を引くと、ピノ・ノワールの同義語として「マルターディンガー」が記載されています。) この古文書に巡り合って自信を深めた彼は、1987年、当時加盟していたブドウ栽培者協同組合を脱退し、独自のワインを造るべく「ベルンハルト・フーバー醸造所」を創設します。勿論不断の努力もありますが、思惑は見事に的中し、長い眠りについていた「マルターディンガー」が再び陽の目を見 ることとなりました。今日世界各地で、彼のしなやかで豪華な赤ワインは常に最高の評価を得、品評会などでも フランスやカリフォルニアの名だたる醸造所を打ち負かすこともしばしば。「フーバーワインは間違いなく世界有数のワインの一つ。20年前にドイツでシュペートブルグンダー種でこれほどの赤ワインができるかと質問されたら、間違いなく『とんでもない!』と答えただろう。」とはGrand Jury Europeanのリーダー、フランス人FrancoisMaussのルクセンブルクのワイン品評会での言葉です。700年前に選ばれた豊かな土壌と風土
700年前にフランスの僧侶にピノ・ノワール種の栽培の地として選ばれたマルターディンゲン村。その最大の要因は、彼らの故郷であるブルゴーニュ地方に風土や土壌が酷似していたことです。
土壌は貝殻石灰岩の風化土壌。太古の昔海であったこの地は、少し掘り起こすと独特の色合いを呈した土壌が露出します。特に貝殻石灰岩の地層の隆起が激しく、この地で育つぶどうは、赤ワインに欠かせない複雑味を土壌から多くもたらされることになります。 新樽による長期熟成
現在でこそドイツで認知されている、オーク素材の小さな新樽(バリック)での熟成も、ほんの10年前まではまだまだ奇異なものでした。そのパイオニアとして果敢に取りくんだのがこのフーバー氏です。
彼の成功の一因として、ワインに独特の深みを与えるバリックの存在は欠かすことが出来ません。 もちろん、ぶどうを丹精に育み、この樽の風味に負けることのない力強い果汁をつかっていることは言うまでもありません。 |
1984年の創設以来瞬く間に世界のトップクラスの醸造所へと駆け上がったフーバー醸造所。各メディアにて様々な賞賛を浴び続けています。下記はその一例です。
1987 当時加盟していた地元のブドウ生産者協同組合を脱退。 1990 いきなり1988年のシュペートブルグンダーが、ドイツのワイン誌 1992 ラインガウの名門ホテルレストラン「クローネ」の品評会にて、 1994 ドイツのワイン誌「ワインニュースレター」にて、 1996 イギリスのジャーナリスト、スチュアート・ピゴットが、 1998 ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて、 2002 世界160カ国で愛読されている雑誌 2003 ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて2000年の 2008 ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて、 2010 ワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて2007年 シュペートブルグンダー 2013 ワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて2010年 シュペートブルグンダー 2014 6月11日、惜しまれながら、その早すぎる生涯を終える(享年 55歳) |